「頑張ってるのに評価されない」への対処は難しい
人事評価において重要なのに、研修等で触れられない原則に
「評価は(自分ではなく)他人がするもの」
というのがあると思います。
人事評価面談で
- 「僕はこんなに頑張ってるのになんで評価してくれないんですか!?」
- 「部下の〜〜さんは正直自己評価がズレてて、評価面談するの気が重いなぁ...」
みたいな場面、経験したり見たりしたことないでしょうか?
このような課題は、評価面談のテクニックで回避できることもありますが、
そもそも「評価は他人がするもの」という仕事の原則がしっかり理解されていないことに由来するケースも多い気がします。つまり、「自己評価が甘いこと」を直接是正するより「評価は他人がするもの」をしっかり伝える方が大事な気がしています。
人事評価って「自己評価」するから分かりにくいのですが、「自己評価」はあくまでズレを解消するためのプロセスでしかない。最終的な「評価」をするのは他人(上司や会社)なんです。
ここで難しいのは、
上司部下の関係だと、上司 = 評価する側になるので、「評価は他人がするもの」と言いづらいところ。
「お前が頑張ったと思っていようと、評価するのはお前じゃない。俺だ。」
って、面と向かって言いづらいですよね。
そしてそもそも、「なぜ、評価するのは他人なのか」をキレイに言語化するのも難しい。
そんなことを考えていたとき、以下のエントリーを見つけまして目から鱗でした。
「ストーリーとしての競争戦略」で有名な一橋の楠木先生のエントリーです。
『仕事の一般原則』と銘打って、仕事(特に研究のようにふわふわしたもの)の原則を10か条で紹介しています。
元々は仕事の原則についてまとめたものだと思うのですが、冒頭の「僕頑張ってるもん」的なすれ違いに対して、深い示唆を与えてくれる内容になっています。
以下、人事評価の文脈に照らしながら10か条を引用・紹介したいと思います。3つのセクションで理解するとわかりやすいです。
セクションI:仕事と趣味は違う
最初の2か条はこれです。
1.「仕事と趣味は違う」の原則
自分以外の誰か(価値の受け手=お客)のためにやるのが仕事。自分のためにやる自分を向いた活動はすべて「趣味」。趣味は家でやるべき。仕事と混同してはならない。
2.「成果は客が評価する」の原則
であるからして、仕事はアウトプットがすべて。ただし、アウトプットのうち、客が評価するものだけを「成果」という。例えば、商品をつくる。これはアウトプット。その商品が客に喜ばれ、必要とされ、受け入れられる。これが成果。仕事の達成をアウトプットの量に求める。このすり替えが自己欺瞞。こうなると仕事が趣味になってくる。仕事の自己評価の必要は一切なし。自分が納得する仕事をしていればよい。あとは客が評価をしてくれる。評価されなければそれでおしまい。
「誰かのためにやるのが仕事」であって、そうである以上、評価はその「誰か」がするんです。
好きなことをやるのは自由。でもそれを評価されて報酬(お金だけでなく「賞賛」「やりたい仕事」とかも含む)が欲しいと思ったら、それは報酬を出す側に主体はあるのです。
労働に対価を出すのは会社なので、会社の代理としての上司が評価主体になるわけです。(ここで上司が正しく会社を代理できていないケースでは、一階層上に抗議したりするしかないです。それでも変わらない場合は、下記の第3原則以降の話に移管します)
ここで面白いのは
- 「仕事」と「趣味」を峻別して、「自分のためにするのは趣味」と切り捨て
- 「アウトプット」と「成果」を峻別して、「客が評価するものだけが『成果』」とし
- 「自己評価」と「納得」を峻別して、「自己評価の必要は一切なし」と太字にしてまで言い切る
ところです。実に清々しい。
さらにこのエントリーの面白いところは、以下が続くところです。これにより「仕事と趣味は違う」「成果は客が評価する」の本当の意味が立体的に浮き彫りになります。
セクションⅡ:客を選ぶのはこっち
3.~7.はこれです。
3.「客を選ぶのはこっち」の原則
それでも、客を選ぶのはこちらの自由。全員に受け入れられる必要なし。つーか、それはほぼ不可能。こういう人のためにやるというターゲットをはっきりさせて、その人たちに受け入れられればそれでよし。
4.「誰も頼んでないんだよ」の原則
ターゲットの選択からやり方から何から何まで仕事は自由意志。誰からも頼まれてない。誰にも強制されていない。すべて自分の意志でやっていること。仕事が成果につながらないとき、他者や環境や制度のせいにする。これ最悪。仕事の根幹が台無しになる。
5.「向き不向き」の原則
自由意志で納得のいく仕事をしていればよいのだが、どうしても自分で納得がいくアウトプットが出ない、もしくは、アウトプットが出ても客が評価する成果にならない、これを「向いてない」という。つまり才能がない。資質、能力がない。これはどうしようもない。だから、
6.「次行ってみよう」の原則
向いていないことが判然としたら、さっさと別のことをやるべき。つまり「ダメだこりゃ、次行ってみよう」。ただし、だからといって一からやり直したり大転換する必要なし。本当に向いてないことには、人間そもそも手をつけないもの。次に行くべきところは意外と近くにある。
この辺りは、会社で語るときは少し難しいですね。特に冒頭述べたような「僕頑張ってるもん」的なジュニアなメンバーが相手だと。
「評価に納得いかないなら客変えろ(=会社やめろ)」って言いづらいし、「客を選ぶのはこっち」って信じられる人ばっかりじゃないと思うから。「誰も頼んでないんだよ」も受け入れにくい人は結構多いと思います。
逆に言うと、「評価するのは客」だけで「客を選ぶのはこっち」がないと、窮屈になっちゃうんですよね。
コンサル出身とかで「評価するのは客」が身に染みてる、かつ、実力もある(=客である職場を選べる)上司が、くすぶってるメンバーを持った時に「評価をするのは客」を要求しすぎてメンバー側が疲れちゃうケースをよく見ますが、その根本の一つは「客を選ぶのはこっち」への感覚の違いがあるのかもしれません。
セクションⅢ:自分に残るのは過程
最後の4つはこれです。
7.「自分に残るのは過程」の原則
仕事のやり甲斐は、自分の納得を追求する過程にある。客にとっては結果(成果)がすべて。仕事の成果を自分で評価してはならない。しかし、自分の中で積み重なるのは過程がすべて。仕事の過程で客におもねってはならない。おもねると、短期的に「成果」が出たとしても続かない。
8.「仕事の量と質」の原則
客側(自分ではなく)で記録に残る成果の集積を「仕事の量」という。これに対して、客の記憶に残る成果が「仕事の質」。一方で、自分の記憶に残る成果、これを「自己満足」という。自己満足はわりと大切。ただし、客の評価抜きに自分で手前勝手に足し合わせた「量」に目が向いてしまうと、「自己陶酔」。何の意味もない。
9.「誘因と動因の区別」の原則
仕事の量を左右するもの、これを「誘因」(インセンティブ)という。ただし、誘因では仕事の質を高められない。仕事の質を左右するのは「動因」(ドライバー)。誘因がなくても自分の中から湧き上がってくるもの、それが動因。
10.「自己正当化禁止」の原則
自己満足は仕事の動因となり得るが、あくまでも舞台裏の話で、表に出してはならない。自己満足について客に同意や共感を求めるのは論外。それは「自己正当化」。みっともないことこの上なし。
これまた面白い。
この辺りは、むしろ上司側の方がグッと刺さる部分ある話かもしれません。自己正当化禁止とか誘因と動因の区別とか。
人事評価にも役立つ「仕事の一般原則」
そんなわけで、仕事の一般原則 は元々は研究者の仕事を中心にした「仕事の原則」として書かれたエントリーだと思うのですが、
- 「僕はこんなに頑張ってるのになんで評価してくれないんですか!?」
- 「部下の〜〜さんは正直自己評価がズレてて、評価面談するの気が重いなぁ...」
といった人事評価のトラブルに対して、結構役に立つと思うのです。
人事評価シートって、あくまで最終的な「評価」をするのは他人なんです。自己評価は、ズレを解消するためのプロセスでしかない。評価と納得は別なんです。
評価してもらいたいなら、相手の評価軸に合わせるっきゃないのです。
ただ、それと自分が何を大切にするかは別問題。
「僕頑張ってるもん」的なメンバーについては、「自己評価が甘いこと」ではなく「『評価は他人がするもの』だとわかっていないこと」が問題の本質であるケースが多いと思うのです。ただ、「評価するのは客」だけで心のどこかに「客を選ぶのはこっち」がないと窮屈になっちゃう。
実際はメンバーに伝えようとすると、出すタイミングとか伝え方が難しい話なのですが、自分だけだとうまく言語化できない話を綺麗に整理されているエントリーなので、たまに見直すようにしています。
楠木先生の本は、以下のいずれも面白いです。