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コンサル→ベンチャー。ビジネス系のネタ。

「ロジカルな解決策が動かない」はロジカルじゃない

 
コンサル出身者の端くれで、今は事業会社で働いていることもあり、コンサルから事業会社に転職したての人から
 
「ロジカルに出した正しい結論なのに、現場が全然動かない。」
 
みたいなことを、言われることがあります。
 
セットで「現場はロジックじゃ動かないからねぇ」みたいな言説がついてくることが多いです。
いつも、適当なこと言ってお茶を濁すのですが、個人的には「ちょっと違うんじゃないかなぁ」と思っています。
 
端的に言うと「ロジカルな解決策が動かない」という話自体が、結果論としてロジカルじゃない気がしています。
 
とても面倒臭く、わかりにくい話をします。
 

「ロジカル」「論理的」 の定義

そもそも「論理的」とは、シンプルに定義すると
  • 原因と結果、もしくは結論と理由の関係において
  • 抜け漏れなく(できればダブりもなく)
  • その繋がりを確からしく説明すること
ということです。
 

「動かない解決策」は、結果論としてロジカルじゃない。

「ロジカルに出した正しい結論なのに、現場が全然動かない。」
は、以下の意味でロジカルじゃないと思っています。
 

「実行できる」の論証が必要

まず、ビジネス実務においては、与えられている問いが「『実行できる』〇〇の解決策を探せ。」と、実行可能性を前提にしています。
 
とすると、実行できない(理論上は可能でも、実務上の実行を担保されていない)解決策は、問いに対する答えの要件を満たせていない、というのが私の考えです。
 
(「実行の実務的担保は、コンサルや経営企画の仕事じゃない。」という主張は、確かに傾聴に値します。でも、究極の究極、実行されないと、そのビジネス全体の価値提供先に対してはバリューにならない。てか、一円も儲からないもん。よって「実行可能性は前提」というのが私の「価値観」です)
 
というわけで、「ロジカルな解決策」であるためには、「実行できる」という結論に対する理由を説得的に示す必要があります。
 
(ま、こんなまどろこしい説明せずとも経営企画室やコンサルのアウトプットで質の高いものは、できるかできないがギリギリの線を突きつつも、「できそう!やってみたい!」となるようなワクワク感とか仕組みがセットになっていますよね。)
 

でも「実行できる」の論証は難しい

「実行できる」を論証するには、「すべき」を説得的に示す必要があることが多い
かくして、ビジネスの解決策を示すには「実行できる」の論証が必要です。
しかし、「実行できる」の論証は難しい。
なぜなら、現場(ここではミドルマネージャーくらいまで含む)に対して「これをすべき」を説得的に示す必要があるからです。
 
この「すべき」が曲者です。
 
ちょっと面倒くさい話をします。
 
「すべき」の論証はとても難しい
そもそも命題には2つ種類があります。
  • sein命題(「である」の命題)
  • sollen命題(「すべき」の命題)
seinとsollenはドイツ語で、英語に直すと"be"と"should"です。
 
そして、重要な話として「すべき」命題は、どんなに事実(「である」命題)を積み上げても、超厳密には論証できない。
 
わかりやすく言うと
「この店のカツカレーよりサラダの方が、カロリーが低い」は、論証できるけど
「ランチにはサラダを食べるべき」は、どんなに事実を積み上げても、厳密には論証できない。
 
「ランチにはサラダを食べるべき」を論証するには、
「カロリー摂取は控えるべき」「痩せるべき」とかいう、「すべき」命題をまた前提にしなきゃいけないんだけど
今度はその「痩せるべき」を論証するために・・の無限ループで絶対に論証できない。
 
「いや、俺不健康でもうまいもん食って死にたい」と言われたら終わり。
 
ロジックじゃなくて、意志の力によってしか打破されない。
価値論争、神学論争、比較不能な価値の迷路に陥るわけです。
 
というわけで、「すべき」命題は、厳密には論証不可能です。
 
実務として「すべき」を説得的に示すことは可能だけど、ベースとなる個人の判断軸は複雑
とはいえ、実務的なレベルにおいて「すべき」命題を説得的に示すことは可能です。
「すべき」の前提となる「判断軸」や「価値観」を、関係者にとって受け入れられる形で定義(≠論証)することが必要です。
 
例えば、「痩せた方がいい」が、受け手の主観において異論なければ、
「ランチにはサラダを食べるべき」は説得的に示せる。
 
ただし、個人が何かする/しないの判断軸は、会社の何かする/しないの判断軸と厳密に重なることはありません。
さらに、その判断軸は、マトリックスで判断できるような二次元じゃなくてはなく、かつイチゼロのデジタルな判断でもない。
ものすごく多層構造・多次元での総合考慮が行われています。
 
例えば、
「痩せてモテたいけど、美味しいものは食べたい。あ、あとお金はあんまりかけたくなくて、会社から遠くないところがいい。ついでに、本当はランチくらいのんびりできるところで食べたいなぁ。贅沢を言うと、昨日肉たくさん食べたから肉は避けたいな。全部程度問題だから、どれを何割重視するとかはないんだけど・・。」
みたいな。笑
 
それを、
  • こうすれば会社が儲かる(あるいは評価制度がこうなっている)。
  • 使用人は会社が儲かる方向(あるいは評価制度に)従うべき。
  • そして、それは実際に可能である。
  • だから、使用人であるお前はこうすべき。
と短絡的なロジックで説得しようとするから、うまくいかないのです。
 
 
 

短絡的なロジックへの反論の具体例

  • こうすれば会社が儲かる(あるいは評価制度がこうなっている)。
  • 使用人は会社が儲かる方向(あるいは評価制度に)従うべき。
  • そして、それは実際に可能である。
  • だから、使用人であるお前はこうすべき。
という短絡的なロジックで説得しようとした時に、具体的に現場からよくある反論を考えたいと思います。
 
「こうすれば儲かる」「実現可能」に対する反論
まず
  • こうすれば会社が儲かる
  • そして、それは実際に可能である。
に対しては、現場ならではの視点での反論があると思います。
 
例えば、「(お前は知らないかもしれないけど)実際現場はこんな感じになってるから、実行できないし、かえって損するよ」的な。
これは、解決策のロジックのMECEさに対する反論に他なりません。
ゆえに、丁寧に耳を傾けた上で、解決策のロジックに、現場の視点を内包していけばいいだけです。既に内包していれば、それを丁寧に説明すればいいだけです。
 
ただし、ここで注意すべき点があります。
それは、現場が丁寧に説明してくれるとは限らないので、しっかりと耳を傾けなくてはならないということ。
なのに、それに耳も傾けずに表層的な言葉尻だけで
「(私が考えた結論を拙い言葉で反論してくるなんて)ロジカルじゃない」と否定してしまうのは、以ての外です。
そして、こういうケースが意外と多いと思います。
 
「会社が儲かるからやるべき」に対する反論
  • 使用人は会社が儲かる方向(あるいは評価制度に)従うべき。
への現場からの反論はちょっと複雑です。
 
なぜなら
  • 個人が何かする/しないの判断軸は、会社の何かする/しないの判断軸と厳密に重なることはない。
  • だけど、表立って会社の判断基準と違う判断基準を主張しにくい
  • しかもその判断軸は、マトリックスで判断できるような二次元じゃなくて、ものすごく多層構造・多次元での判断が行われている。
という3点から、正面切ってキレイに言語化された反論になることは少ないからです。
 
その結果として、本当は単に「やりたくない」場合でも、
表面的には「うまくいくわけない」みたいな形で反論として出てくることが多いです。
 
例えば、
(俺もサラリーマンだし会社が儲かる方向に動かなくちゃいけないのはわかる。でも、正直これをやると部下のXXは反対しそうだなぁ。あいつとはいい関係を保ち続けたいんだよな。あと、子供も小さいから俺も早く帰りたいしなぁ。とはいえ、そんなの部長に言うのもアレだしなぁ。やりたくないなぁ・・。報告書のデータ、正直細かくてよく理解できてないんだよなぁ、、。てか、今回の施策ってよく考えたら2年前に失敗したアレに似てない?そうだな、うん、似てる気がする。まぁ、今回の方が緻密に練られてるのは間違えないけど)2年前にやった施策と同じです。コンサルに2千万も払って。そんなんじゃ儲からないと思います。
みたいな。
 
 
これを言葉通り受け取って、カッコ内の思考に思いを巡らせず、「根拠がない、ロジカルじゃない」と断罪してしまうというのも、私は正しくないと思います。
この辺の「深み」を理解しないと、現場は説得できないのです。
 
(もちろん、こういう面倒臭いこと言わなくても動く現場はたくさんあるわけで、そういう方々は素敵だと思うのです)
 

翻って「ロジカルな解決策が動かない」は・・

以上を踏まえ、悪意溢れる補足をしながら「ロジカルな解決策が動かない」を言い換えると
  • (会社の判断軸をベースにした)ロジックで(すべき命題が原理的に論証不可能という自覚さえないまま)
  • (今自分が言語化できている情報の範囲では、確からしいというレベルにおいて)正しい結論を出しているのに、
  • 現場が全然動かない。(私が考えられなかった切り口や、個人の判断軸については預かり知らないもん!)
ということだと思います。
 
それは、お前が見えている範囲でロジカルに見えるだけで、お前が見ている範囲は世界の表層だよ、と。
 
 

じゃ、どうすんねん

結局「ロジカルな解決策が動かない」は、
「形式的には」ロジカルに見えるかもしれないが、「中身的には」他の可能性の考慮にモレがあったり、因果関係が弱かったりすることがほとんどです。
特に、現場の意思決定の構造や、現場で起きる複雑怪奇な事象を変数として考慮しきれていないことが多い。
 
それに対して、現場の事実や価値観を可能な限り一つ一つ吸い上げて、
一つ一つを変に切り捨てず、立体的な思考をすることで、「ロジカルな解決策が動かない」は相当な確率で回避できると思います。程度問題ですが。
 
そして最後は、「できそう!やってみたい!」と、それぞれの判断軸や価値観に沿った素敵なビジョンとして提示していくと、さらにうまく回るイメージがあります。
他にも、事業会社の中にいるなら「俺はやる!お前はどうする?」と、自分が先にコミットしちゃうことで相手の意思決定に強烈な軸を作りに行くとか(あんまりやると嫌われる)、色々なやり方もありますよね。
 
いずれにせよ、こういう複雑怪奇な意思決定に対して「ロジカルじゃない」と切り捨てるのではなく、「私のロジックが至らなかった」と反省的に考える姿勢が、実務を前に進めるためには求められると思うのです。